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中島史雄先生は、78年に勃発した三流劇画ブーム時に注目されたエロ漫画家。後のロリコンブームでは絵柄をアニメ調に近づけながらも、確かなデッサンに裏打ちされた媚肉がとても官能的で好きだった。そんな中島先生は、日本初のエロアニメビデオ『ロリータアニメ』(84年・ワンダーキッズ制作)の原作者でもある。つまり「Hentai」として世界に知られる日本文化の元祖的存在といえば、その偉大さが少しでも伝わるだろうか。
そんな先生に知人の紹介で、直接話を聞く僥倖に恵まれた1。
先駆者ならではの生みの苦しみ
アニメ一作目『雪の紅化粧』は劇画タッチで全然可愛くない。先生曰く「中島の原作が悪いと当時さんざん言われた」と苦笑する。
すでに当時は『シベール』の流れで男性向け同人誌がコミケで花開き、美少女コミック誌『レモンピープル』『漫画ブリッコ』と出ていたのに、それとは全く関係なく、オヤジ向けエロ劇画路線に突っ走ったワンダーキッズは、たぶん何も考えていなかったのでしょう。
妙な原作チョイスも、プロデューサーの完全なる趣味だったようです2。
中島さんは『さすがの猿飛』など、当時人気の少年アニメを引き合いに「こういうアニメっぽいキャラがエッチなことをするのが良いんです」と、さんざん説得したそうですが、なかなかラチが明かない。少なくとも当時の中年世代は、そうした感覚が乏しかったんだろう。
説得を諦めかけたとき、3作目『仔猫ちゃんのいる店』から作画監督が代わった。
この人は理解があったようで、ここでようやく美少女アニメのフォーマットが固まったという。もっともアニメスタッフは「年端もいかない少女のセクシーな描き方」なんて理解に及ばず、試行錯誤の連続だったようで、家族にも白い目で見られたとか。
これで、ようやく中島先生は肩の荷が下りたそうです。
まさしく、美少女エロアニメの胎動はここから始まったのだ。
ちなみに『くりいむレモン』もプロデューサーが「エロアニメ=エロ劇画のアニメ化」と安易に考えていて、真行寺たつやが「売れるわけない」「アニメ調キャラでいこうぜ!」と説得に回ったという、ほぼ同じような逸話がある。ヤレヤレだぜー
まとめ
中島先生は『ロリータアニメ』について紆余曲折あったものの、まったく黒歴史でなく、むしろパイオニアとして果たせた役割について誇りに思ってらっしゃった。端境期ならではの貴重な証言もそうだが、この点にちょっと感動…。そういや聞きそびれたけど『ロリータアニメ』の版権ってどうなってるんだろう。先生も知らないと思うけど、孤児著作物になってるのかもしれない。一方の『くりいむレモン』は版権管理が今も行われている(はずだ)。
- 稀見理都さんの計らいで、中島史雄先生、飯田耕一郎先生、ダーティ松本先生、牧村みき先生、米沢夫人、虎馬書房さんと飲んだ…。一介のマニアに過ぎない自分が顔を出していいのかと思ったが、結果、4時間近く、途切れめなく話が続き、本当に楽しかった。このメンツが揃ったことが奇跡だと思う。まさか「エロアニメの父」と「コミケの母」に超濃密な話が聞けるとは思わないじゃない。本当に貴重だった。
- プロデューサーは、由美かおるが好きだったらしい。