エロマンガ

『劇画アリス』『漫画大快楽』『漫画エロジェニカ』編集長かく語りき

Contents

「三流劇画ブーム」の前後を語る

前史・全盛期・抗争・変化
―俺たちはアナーキーなエロ劇画に賭けた

所載:『官能劇画大全集 1978~1982』道出版、2000年

  • 元『漫画大快楽』菅野邦明(編集者)

1951年、福島生まれ。『漫画大快楽』等の編集を手掛ける。後、同僚だった小谷哲等4人と編プロ・EUオフィス設立し、『漫画カルメン』『漫画ピラニア』等の官能劇画誌を編集する。86年、マガジン・ファイブ設立。2000年、㈱ソフトマジック『新官能劇画大全』や『マジカルコミックス』をスタートさせる。

  • 元『劇画アリス』米沢嘉博(マンガ評論家)

1953年熊本生まれ。明治大卒。「迷宮」の活動を通じてマンガ評論を執筆。『劇画アリス』『ペケ』などの編集にもたずさわる。その後、マンガを中心とした大衆文化関連の評論・研究を行う。著書に『戦後マンガ史』3部作、編著に『別冊太陽手塚治虫大全』『別冊太陽発禁本』など。

  • 元『漫画エロジェニカ』 高取英(劇作家)

1952大阪生まれ。劇作家、演出家、マンガ評論家。月蝕歌劇団代表。

  • 大西祥平(ライター)

1971年東京生まれ。漫ぶらぁ〜

三流劇画ブームとは何か?

最初、石井隆のブームがあり、続いて、77年より『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』が中心となって盛り上がり、『夕刊フジ』などの新聞・雑誌が取り上げ、76年にTV『11PM』が特集。78年10月『漫画エロジェニカ』11月号が発禁となる。79年4月『別冊新評―石井隆の世界』に続き『別冊新評―三流劇画の世界』が出版される。続いて70年より『大快楽』も取り上げられ、二誌は「エロ劇画御三家」などといわれた。なお四天王という場合『劇画ハンター』(久保書店)が入った。三誌とも、79年より、ニュー・ウェーブ系のマンガ家を起用。その頃までブームが続く。

70年代前半のエロマンガ事情

高取:エロ劇画誌を語るなら、やはり、最初は『エロトピア』1が大きいと思うのですが。

米沢:創刊時の名前は『ベストセラー』です。 『漫画ベストセラー』。

菅野:『漫画ベストセラー』は、やっぱり「かわぐちかいじ」や「平田弘史」が良かったな あ。エロのほうの話? エロは、やっぱり『エロトピア』の「榊まさる」ですね、私は。

米沢:1972、3年です。最初は、なんかアクション物をやってたんですよ。たしかその連載。

菅野:昨年、僕等が編集した『官能劇画大全』第4弾で榊まさる作品集をやったんですが、 その時のインタビューでは『エロトピア』以前はもっと劇画タッチのアクションものをやってたみたいですね。

米沢:『首代引受人』とか、平田弘史とか、最初、梶原一騎とかやってたから、結構一流誌の作りだったんですよね。

米沢:『ヤンコミ』2、『リイドコミック』の間ぐらいかな。

高取:僕も『ヤングコミック』を愛読していて、 上村一夫、宮谷一彦、真崎守のマンガとコラムが面白かった。あと青柳祐介ですね。この人たちはエロ劇画前史というか先駆という感じ。米沢さんはそのころは?

米沢:そのころは、やっぱり全部読んでいますからね。 『増刊ヤンコミ』。『ヤンコミ』です。 よね。あと『コミックバン』とか。

高取:じゃ、作品でいうと?

米沢:『コミックVAN』というのは、かわぐちかいじとか山上たつひこ。東京に来たころに『週刊マンガストーリー』で山上が『喜劇新思想大系』の連載を始めたから、あれで『マンスト』を買うようになったんです。それから、そのころ出た『ポップコミック』というので、やっぱり山上が『ヌエ』書いてて。で、かわぐちかいじとかきしもとのりとか、その辺も書いてて、その辺の青年誌は大体読みました。

菅野:『漫画ストーリー』ありましたね。そこで、72年、山上たつひこの大傑作『喜劇新思想大系』が始まるんですよね。

高取:大学生の頃、友だちと読んでたのが、小森一也の『九楽斎女犯指導』。

米沢:それは、『エロトピア』の別冊扱いの「快楽号」。 『抜か六戦記』(臣新蔵)と『九楽斎女犯指導』。

菅野:一年目は宇野鴻一郎原作の『浜月斎女人斬り』。

高取:そうそう。途中で変わりましたね。

菅野:二年目ぐらいから蓮見芳男に原作が変わってね。小森一也の、それ、官能劇画大全でやりたいと思ってるんです

高取:そうですか。 あれは名作です。

菅野:あれ、今出すとちょっとおもしろそうでしょう?

高取:丸一冊の増刊でも出てましたものね。

米沢:増刊で出てましたね。似たような名前でもう一つあるんです。淡月斎かな。それのあとにそちらの九楽斎に変わるんですよね。

高取:宇野鴻一郎原作でなくなって、名前が変わったんですよね。

米沢:女にお仕置きをするお話ですよね、簡単に言うと。

高取:僕は、その二つですね。『悪の華』 と。『悪の華』の単行本をけいせい出版で出してって言ったの僕なんです。

菅野:『悪の華』はいいじゃないですか、あれは。 岡崎英生でしょ、原作。

米沢:その前がありますからね。『劇画タッチ』です。 四冊出た大判のやつがあったでしょ。 真崎守とか宮谷(一彦)とか書いてた。 あれが当時は結構おもしろかったです、読者としては。 宮谷、上村。

高取:当時の人気劇画家は、斬新さで宮谷、上村、真崎でしたけれどもね。そんなエッチではないが、SEX描写もあった。

米沢:早いですよね。ホモセクシャルの特集やったりとか、吸血鬼みたいな特集やったりとか。

菅野:宮谷一彦が登場して、すごくリアルな背景描写ってあったじゃないですか、あのリアルな背景で榊まさるのエロが登場したんです。それがスゴかった。下半身にもろズシンとくる衝撃を受けました。で、表紙も横山明のエアブラシで、とてもオシャレなエロ劇画でした。それ以前の、エロ劇画は実話系で表紙がいかにもオヤジくさくて、20代前半だった俺には、恥ずかしくて持って歩けませんでした(笑い)。

米沢:ほんと『ヤンコミ』で出てきた、なんか戦後世代のマンガ家たち、この辺とエロがくっついたときからおもしろくなりましたよね。それまではやっぱり大人のエロだった。 大人というか、おじさんくさいエロだったでしょ。

高取:それまではピンクマンガとか言われてたでしょ。

米沢:艶笑マンガですね。要するに、古くさいし、なんかドロくさいのが多かったのが、青年劇画タッチに変わっていく。だから、山上なんかもそこにはまってましたよね。だから、シュールな感じで細かく深く描く人がいて、片方でエロをギャグにしちゃう山上がいて、で、エッチも入ってるけども、ちゃんとドラマを書くかわぐちかいじとか、そういう人たちがいっぱいいてみたいな、真崎守系列ですか、がいてみたいな感じですよね。それが、やっぱり72、3年ぐらいにガーンときた感じです。だから、やっぱり『エロトピア』と『ヤンコミ』ですよね。

菅野:やっぱり『エロトピア』と『ヤンコミ』がすごかったんじゃないですかね。

米沢:『プレコミ』とか、あの辺にいくと、やっぱりいまだに石森とか、そういうもののちょっとエッチ程度の、まあスパイ物とかSF物とか。『009の1』ですね。『ワイルドキャット』とか。

菅野:『ヤンコミ』は、当時学生運動なんかやってた連中にもファンが多かったですよね。 結構やっぱり四畳半物とか多かったですよ。学生運動の話とか、四畳半フォーク的な話とか。

菅野:上村一夫は、『同棲時代』が。

米沢:わかりやすい作品ですよね。

菅野:おれはやっぱりまさるの、ヒロインが女教師だとか、ハイクラスの美人奥様でモラリストの上流階級の女たちが淫らに崩れていくというエロが好きでした。

高取:肉体労働者が男で、女のほうがちょっとハイレベルな階級の設定。

菅野:そう。有閑マダムとか。だから、そういう貧富の差、ありますよね、その貧富の差をエロで乗り越えるという、単純な構図が理屈抜きに好きでした(笑)。

高取:露骨にありましたね。

榊まさると石井隆

菅野:だから、石井隆になると、言ってることはわかるんだけどエロとしてはあんまりわかりやすくないんですよ。ちょっと屈折してましたから。

米沢:ドキュメントタッチのマンガは結構多かった。ただ、ヤクザじゃないけど、暴走族みたいな若いあんちゃんたちが犯すみたいな、そういうの結構多かったのかな。女性はOLっぽいふうのが多かったですよね、石井隆の場合は。

菅野:社会の底辺とはいわないけれども、そんな上のじゃない人たち、まあ普通の人たちですよね、その人たちが閉じたまま崩れていくって感じでした。セックスの最中でも男女の自我が出すぎててちょっとツラかったですね(笑)。

高取:そうそう、まさるのような階級対立はあまりなかったですね。だから、榊まさるの古典的設定は、『無法松の一生』などにつながる大衆文学の王道です。 松が吉岡夫人を犯すと榊まさる作品になる。

菅野:その通りですね(笑)。後に『漫画大快楽』3でひさうちみちおに 『無法松の一生』やっていただきました(笑)。 ま、 そんなワケで榊まさる作品は好きでした。

米沢:だから、 宇野鴻一郎とか、あの辺の官能小説の換骨奪胎みたいなところもありましたからね。

菅野:たしかに最初のころ、 宇野鴻一郎とかの原作でやってたハズです。

米沢:ただ、榊まさるのほうが明るいですよね。明るいから、20ページから30ページぐらいなんだけれども、大体読み切りで、それで、バッと読んで終わっちゃうような。

菅野:だから、そのほうが抜けるんです(笑)。いや、ホント俺、大学生の時、榊まさるでよく抜きましたよ。

米沢:石井隆じゃ抜けないですか。

菅野:石井では抜けなかったですね。石井隆の作品は官能ものというより青春ドラマだと思 ってるんで。しかも、つながり合えない男女のドラマですから。青年劇画としては、傑作だったと思う。絵も抜群にうまいし。

高取:でも、ローアングルが新鮮だったでしょ。

米沢:映像的にはおもしろいですよね。ただ、ああいうのは予定調和のほうがやっぱりポルノっていうのはいいわけで、そうすると榊まさるになっちゃいますよね。

高取:王道は榊まさるでしょ。でも、榊まさるの後、ブームになったのは石井隆だった。 77年にヤンコミで石井隆特集号が出るとすぐに売り切れました。後で『別冊新評 石井隆の世界』4も出版されるくらいに人気だったですよ。

米沢:74年から76、7年じゃないかな。あとは能條純一なんかも。コギャル物ですよ、あのころだと、多いのは。あれは双葉社系だったかな。『エロトピア』にも書いてましたけれども。ただ、能條は、どうも女の子の顔が虫みたいで、ブタみたいで、どうもイマイチ個人的には好きになれなかったですね(笑)。山崎了とかも。劇画タッチで。

山上たつひこも重要だ

高取:能條さんは、パワフルで、当時のエロ劇画の王道ラインだと思いますが、 菅野さんは『ガロ』大好き派じゃなかったでしたっけ?

菅野:ええ、『ガロ』のヘンな感じが好きでした。

高取:『COM』、読んでました?

菅野:『COM』はあまり読みませんでした。『ガロ』と、あとはやっぱり当時勢いのあった『ヤンコミ』でしたね。かわぐちかいじファンでしたから。あの人の無頼的なアクションものがね。『ヤンコミ』で連載が始まった『黒い太陽』とか『漫サン』の『唐獅子警察』とか、あと『漫画ベストセラーズ』の『豚と狼』とかね。 結構男っぽいやつですよね。

高取:そうですね。『風狂えれじい』ってそうでしたっけ。

菅野:明大研の人たち、かわぐちかいじとほんまりうと。あと、小川保雄っていう人もいま したね。ほんまりうは『与太』っていう単行本、「青林堂」から出てましたよね。

米沢:だけど、底辺にいるヤクザみたいなものと、あと、昭和初期の青年将校とか。あまり出口のない青年たちのドラマみたいなのが多いな。

菅野:そこに出口を開けてくれたのが榊まさるじゃないんですか。

米沢:山上と榊だと思うんです。山上がギャグへ突き抜けて、だから、榊まさるがエロへ突
抜けてみたいな?

菅野:山上たつひこもそうでしたね。

高取:山上たつひこの真似をずっとしていた蟻田邦夫っていうのがいましたけど。

米沢:大谷かおるも、最初そんなマンガ書いてましたよね。あれなんかもかわぐちかいじ系列のマンガから、山上系にいった人でした。今も書いてますよね、人妻快楽物とかに。

菅野:大谷かおるも、『大快楽』でちょっとやったりしてました。

米沢:要するに、わけのわからないおもしろさがエロ劇画誌にはありましたよね、75年前後。

菅野:ほかのエロ劇画誌といったら、高取さんとこの『エロジェニカ』もそろそろ登場じゃないですか。 結構めちゃくちゃな作家も載せてましたよね、お互いに(笑)。でもそれは、出来上がっちゃったエロ劇画家はいたんだけど、俺たち、なんかもっと違うのやりたいと思ったからね。

『大快楽』と『エロジェニカ』 そして『アリス』

高取:でも、正直言って最初は『大快楽』がワンランク上だったんですよ。

菅野:そんなことないでしょ、世間的には。でも、俺は趣味が違うって思ってましたけど(笑)。

米沢:質的にもそうでしょ。

高取:初期はね。それから、表紙が辰巳四郎だし、辰巳四郎の表紙といっただけでもうね。やっぱりワンランク上だったんです、実は。

米沢:金使ってますよね。部数も多かった。10万ぐらいとかいう。

高取:部数は、これはもう『エロジェニカ』が上になるんだけど。それはもう証明されてるんだけど、最初はもちろん『大快楽』が上ですよ、

米沢:というか、あの手の雑誌の中では、『大快楽』が一番おもしろかったです。

高取:その当時ね。だから、あんなことになるとは思わなかった (笑)。一緒にされるとは思わなかったですよ、最初。しかもエロ劇画ブームはまず『エロジェニカ』と『劇画アリス』5の2誌がもてはやされたから。

米沢:75、6年ぐらいですか。 創刊年は。

高取:『大快楽』の作家はだれでした?

菅野:入った頃の作家は、能條純一と、羽中ルイと、あがた有為の三本柱だったんですけど、その後、能條純一が『エロトピア』とかにいっちゃったり、で、羽中ルイもあまり描けなくなって、それで発見したのが『大快楽』のニュースターとなったひさうちみちおとかですね。

菅野:『ガロ』を読んでたら、妙にいい電波を流す人がいたんです。この人、かなりスケベじゃないかなと思ったの。それで、さっそく「青林堂」に電話したんです。そしたら当時の『ガロ』編集長の渡辺和博さんがボソボソとぶっきらぼうにひさうちくんにはどんどん原稿頼んで下さい。 なんて言われてね。

高取:羽中ルイ、あがた有為、能條純一。それだけでもうランク上なのよ。わかんないだろうけど、 こちらから言わせると、後はだから、最初は全然もう歯が立たないって感じでしたね。

大西:土屋慎吾さんは? その三家に対して、どういうポジションだったんですか。 もっと前からやってたから。もっと大御所?

米沢:いや、ちょっと泥くさい感じがしてたね。

菅野:『大快楽』では土屋慎吾はなぜかが多かったんですよ(笑)。

大西:あのにおうようなエロがやっぱりいいという人もいたから。

菅野:やっぱりあのおとぼけエロがよかったんじゃないですかね。読者に何も考えさせない というか、読者にうむを言わせない土屋劇画ってなぜか巻頭が似合うんですよ(笑)。

米沢:福原秀美とかね。

高取:秀美さんは、『エロジェニカ』やる前に原稿依頼に行って書いてもらうんですけど、 それが初めて売れっ子の人に会ったという最初です(笑)。立ち食いソバが好きというのが印象的だった。もう増刊号バンバン出てましたから。おたくでも出してよというわけで、企画は通らなかったんですけど、そのころもう76年ですか、石井隆の『ヤンコミ』あたりがバンバン出ているころでした(笑)。だから、持ち込みの人に期待してましたもの。まあダーティ松本、その前から書いていましたけど。

菅野:そちらではダーティ松本とかとかがメインでしたよね。

高取:そうです。『エロジュニカ』の村祖俊一さんも、ある日、ふらっと現れたんです。それで、やまもと孝二さんというのが書いていたでしょ、うちで。彼、売れていっちゃったんですよ。

米沢:双葉社でしたっけ? 普通の物を書くようになったんだよね。

高取:だから、ダーティ松本さんが最初の看板で。次の看板になる中島史雄さんも大原礼為さんに会いにいったら、アシスタントやってて、「自動販売機」の雑誌で書いているっていって、ちょっと見せてくださいっていって。 『エロジェニカ』を支える作家っていうのは、何ていうんでしょ、結構持ち込みの人が多いです、実は。

米沢:みんなが結構持ち込んでましたよね。だから結局、どこの雑誌社にいてもイマイチ満足しなかった。

菅野:平口広美も持ち込みでしたよ。会社に初めてやって来た時はてっきり印刷所のオヤジと思いましたけど(笑)。 それとまだサラリーマンだった内山亜紀とか、中大法学部の学生だった三条友美とか。

高取:内山亜紀さんが来たんですけど、僕じゃない人が会っちゃって、冷たく帰したりして(笑)。

大西:でも、あとから追っかけて調べている側としては、すごい見事に御三家に関しては、 戦って、見事に分かれていますよね。例えば一人、ダーティさんが例えば『大快楽』だとは考えられない感じになるんです。カラーとしてもうまとまって見えるというか。

高取:あまりまねっこするとね。やばいというのはあったですよね。

菅野:それはありますね。むしろ真似っこはしたくないという気持ちもね、ま、趣味が違うから(笑)。

米沢:もともとシェアはそんなに広くないところだから、食い合わないようにやらないといけないし、対抗意識もあるみたいで。ただ、どこでも載ってるという人というのはいたわけで、あがた有為なんかどこでも書いてましたよね。

大西:それは作家さんのキャラクターの違いとか、それとももっと、マンガの中身の?

米沢:足りないときには頼めばすぐあがってくるっていう人がやっぱりいるから。

高取:でも、『劇画アリス』の亀和田さん6は、結構『エロジェニカ』の作家にアタックしたんですよ。あと『エロジェニカ』と同じ作家をそろえたマンガ誌も登場した。まねっこ。僕の知ってる編集者だったけど。

大西:『アリス』と『エロジェニカ』は、ちょっとなんかいろいろ、趣味ゴタゴタも含めて流動的な部分がちょっとあるかな。

高取:清水(おさむ)さんはほぼ同時ぐらいに書いていたかもしれないですけど、『アリス』の亀和田さんはダーティさんに頼んでダーティさんは断って、村祖さんにも頼んで。村祖さんは書いたかどうか覚えてないんですけど。

米沢:描いたと思います。

高取:交流がちょっとあったんです。 僕は、『劇画アリス』のマンガコラムを書いてたし、仲いい時期があったから、井上英樹がこっちに一回書いたり、亀和田さんに『劇画アリス』のコラムに飯田耕一郎について書いてくれと言われて書いた。 飯田耕一郎も一回書いてもらって。そういうちょっと交流が生まれたんです。

菅野:『別冊漫画大快楽』でも頼みましたね、飯田耕一郎は。

三流劇画ブームは『プレイガイドジャーナル』から始まった

高取:でも、最初のブームのきっかけは米沢さんですよね。

米沢:そうですね。こっちと川本耕次7で、 『迷宮』8で始めたんですよね。だから、少女マンガと同じテイストがやっぱりエロにあるし、そこでエロ劇画ってのの再評価っていうのは、マンガの脱出口としてあり得るんじゃないかというんで、ちょっと研究という方法で。

高取:サン出版の何とかという雑誌で『エロジェニカ』 について書いてくれたのは、川崎ゆきおが『エロジェニカ』に載ってるので。ということが書いてあった。

米沢:そのコラムを書いたのは、川本耕次君じゃないですか。

高取:あれは川本耕次君なんですか。

米沢:うん。だから結局、エロ劇画なんかわかるというか、読んでたのは川本耕次とこっちぐらいしかいないから。あとは(迷宮の)橋本(高明)君ですか。ぐらいに読ませて。その辺からのめり込んでいくんだけども。その辺でも、まあ『プレイガイドジャーナル』9ですよね。

高取:最初『プレイガイドジャーナル』で特集されたんです。そうです。

米沢:『プレイガイドジャーナル』の座談会の前には。どこでやったんだっけな。『迷宮』で2回ぐらい特集やって、それから、そのあと『ペケ』のほうが早かったのかな。

高取:『ペケ』が早かったんですか。いや、『ブレイガイドジャーナル』が一番でしょ。

米沢:『プレイガイドジャーナル』のほうが早かったかな。

高取:何年でした?

米沢:77年ぐらいかな。 7年か8年とか。

高取:その『プレイガイドジャーナル』の特集の座談会に出席したのが、『官能劇画』の川本耕次と、『アリス』亀和田武と、『エロジェニカ』の私でした。

米沢:そのころ大学を卒業して川本耕次がみのり書房に入ったから。で、何だっけ、あそこの雑誌は。

菅野:『官能劇画』かな。

米沢:『官能劇画』と『スカット』をやってたのかな。

高取:川本耕次がね。

米沢:で、新雑誌をやりたいとか言って、蹴られたんですよね。そのころですよね、あっちこっちにエロ劇画時評とか、書き始めたんです。

高取:そうそう。あのとき 『プレイガイドジャーナル』の座談会に何で『大快楽』は入ってないんですか、座談会に。

米沢:何で入ってなかったんですかね。その前に、たしか取材に行ったはずなんですよね、『大快楽』。

菅野:そうでしたっけ。全然覚えてないな。 それで、だれが対応したんですか。

米沢:小谷さんだと思うんです。で、なんかイマイチだったんですよ(笑)。なんか知らないけど。

高取:何が? 反応が? (笑い)反応が悪かったの?

米沢:小谷さんって意外とそういう人じゃないですか。なんかうれしいのか、反応があるのかわからないような、なんかブスッとした顔でしゃべるから、ああ、これはだめかなって。

高取:それで『エロジェニカ』と『劇画アリス』がまずクローズ・アップされたのか、僕は、 『大快楽』はランクが上だからいないんだと思ってました。

米沢:いや、そんなことないです。声かけやすい人に(笑) 。

菅野:でも、その時代になると、ランク上も下もないんじゃないの、もう(笑)。

米沢:しょせん目くそ鼻くその世界ですから (笑)。

高取:いや、そんなことないんです。 やっぱりあるんです。

米沢:あっちこっち編集プロダクションとかへ行ったけど、怖いところもあるんですよね。

高取:それは知ってます。聞きました。どうぞ。チンチロリンやってるとかでしょ。やってるって別にチンチロリンぐらい。

米沢:ええ。顔つきが。だから、顔つきがみんなヤクザの顔つきをして。

高取:それは、君たちが若かったから、そういうふうに見えたんだよ(笑)。

米沢:そう。大学生には、二十歳前後の人間が行くと、やっぱり怖い、違うと。でも、まだ高取氏とか亀和田氏とかそういう人たちは、まだなんか大学生あがりが多かったから、この辺だとまだ話しができると思うんだけど、ああいうところに行くと怖いですよね。

菅野:それはあるわな。 エロ本自体がまだまだ世間の認知度は低いし、低俗だと思われてたもんね、市民社会からは(笑)。エロトピア創刊以前の実話系エロ漫画はヤクザみたいなとんでもねえヤツが作ってるのかなって思ってたから、おれも最初。

米沢:半分ぐらいそういうところがあったりするんですよね。

菅野:檸檬社の応接室にはなんせ組合掲示板が燦然と輝いていたもんね(笑)。これはヤクザ じゃねえなと思って安心しました。それで、編集室をチラッと覗くと肩まで髪を伸ばし、サングラスをしていた小谷君たちが見えたからね(笑)。こりゃいいところかもって。

米沢:『黒の手帖』とか出してたところですからね。

高取:ヤクザが作ってると思わなかったけどな。

米沢:思いましたよね。ヤクザが作っている部分があるというのは。何で思わなかったんですかね。

高取:だから『漫画アクション』とか『ヤンコミ』と一緒だろうと思ってたって、こっちは。無邪気だったんです。

米沢:いや、ここはちょっと違う、違うのかなと。で、勝手に書いておいてよとかも、そういう人たちが多いですからね。

高取:だから、チンチロリンやってた平和出版社の人が、勝手に書けよ、適当に、とか言ったでしょ? それで米沢さんはショックだったんだ(笑)。

米沢:そうか、そうなんだ。

菅野:でも編集者って、どっかヤクザっぽくないとね。なんせいきなり電話して初めての人のとこに取材に行っちゃったりするんだから。でも檸檬社はヘンだった。社長室にセーラ服とおさげのかつらが置いてあるんだもの。すごいディープなところに来ちゃったなとも思ったけどね(笑)。でも、今まで見たことがなかったヌードのポジシートがドバってあったんで、最初の一ヶ月は始業の30分前には必ず会社にきたね。社長には、早いね、なんて感心されたりしてね。でも本当はポジを見るためだったんだけどね(笑)。

「11PM」から「別冊新評」へ

米沢:それで、「別冊新評」、斎藤さんと石井隆とかの話をしてて。その前に「SF新鋭特集」のときに、何かいい企画はとか。あのとき企画をいっぱい出したんです。それに、石井とか三流劇画とかね。「別冊新評―三流劇画の世界」10、貸したままじゃないですか? 貸して貸してくれとか言って、貸して。

高取:ひどいな。

米沢:ひどいなって、全然(笑)。亀和田武にも貸してますよ。

大西:これ「別冊新評―三流劇画の世界」は、今となっては古本屋行ってもなかなか出てこない。この間、大阪のはずれでようやく見つけました。

高取:いくらでした?

大西:これ、千五百円。

菅野:この「三流劇画相姦図」11って、そういえば俺が描いたんだよ(笑)。「チャンゼロ」でいしいひさいちが冗談でやってたんだよ。相姦図を。だからそれをマネして小谷君とネームを考えたりしてね(笑)。

高取:みんなやったの? 小谷君だけだと思って、小谷君を攻撃して。誤爆したな。ぬれぎぬだな(笑)。

菅野:エッ、そんな大層なことになったの? 俺たちは冗談のつもりで書いたんだよ。

大西:ハハハハハ。やっぱりこれは話題を呼んだんですか、当時は(笑)

高取:「別冊新評三流劇画の世界」は話題を呼びました。

米沢:この特集号もやらせてくれるというからやってたんですけども、僕ら。エロ劇画に詳しいライターなんていないですよ。結局名前の載ってるライター以外は全部三人で書いてるから。

菅野:エッ、これ米沢さんたちが取材して文章書いて編集したの。初めて知りました。他は……。

米沢:川本耕次と橋本君。だから、それはペンネームを四つぐらい使って。もう今となってはいいだろう、ばらしても。四つか五つ使って書いてるから。

菅野:小谷君、書いているじゃないですか。

米沢:書いてますよ。今となっては貴重な資料になってしまったかなと。だから、この辺からですね石井隆のほうが先に盛り上がったのかな。

高取:盛り上がりました。

大西:この前に「別冊新評―石井隆の世界」ですね。

菅野:78年ですね。

米沢:「11PM」12とかでやったのはこのころでしょ。

高取:「11PM」は「別冊新評―三流劇画の世界」より先です。78年。9月末かな。

米沢:先でしたっけ。これを作ってたころにやってたんです。

大西:当時の仮想敵みたいなマンガ家さんというのは、大体どの辺を想定してた? 仮想敵な雑誌とか、「ビックコミック」とか。

高取:仮想敵は、私が「11PM」で「ビックコミック」を『劇画界のNHK』だとか言っていただけで。そんなことはだれも言ってないですよ(笑)。

大西:そうなんですか。

高取:ほら吹き「エロジュニカ」は言ってましたよ(笑)。でも後に、「ビッグコミック」の方は最近『劇画界のNHK』といわれて光栄だと書くようになった(笑)。

大西:何となくパンクに近い部分というか、テクニック至上主義とか、そういうところに反発。

米沢:ちょうどパンクが出てきたころでもあったし、78年はそうですね。

大西:マンガ界で、僕はパンクだと思ってるんですけど。

米沢:そういう位置づけでやってた部分もあるんだけど。

大西:ご本人? 当事者が?

米沢:いや、だから、聴いてるものがそういうものだから。そういう音楽を聴きながらこういうことをやってるわけで。

菅野:その頃、俺の高校の同級生のミチロウがパンクバンドを始める頃だね。ミチロウは80年頃「スターリン」っていう今じゃ伝説になりつつあるパンクバンドを結成するんだよ。そんなこともあって俺なんかもちょっとそれっぽい気分になってきたんじゃないですかね。

米沢:ありますよね。結果的に、ここで書いてる連中もそういう音楽を聴いてるし、そういう音楽をやってる連中も入ってくるし。

菅野:そんなワケでミチロウの初のシングルソノシートジャケット、俺、平口さんの担当だったから頼んで描いてもらったんだよ。ミチロウのタイトル「電動コケシ」もフツーじゃないけど、絵がまたスゴイ。ボッキしたポコチンアップで注射打ってるヤツだもの。ビックリしたよ俺は。平口さんも『白熱』や『社会的責任』でノってたからね。

大西:宮西さんとかも。

菅野:宮西、丸尾君に描いてもらったのジャケット。「虫」もスゴかった。とにかく、平口さんも宮西君も丸尾君もミチロウも完璧にブッ飛んでました。

大西:なんか感じるんですね、マンガ読んでいて、やっぱりパンクロックみたいな世界は。

米沢:いろんな人がいるんですよ。

高取:懐かしいな。

米沢:そうですね。だから、業界の話を書いたのは大体、川本耕次さんぐらい。

菅野:おれ、彼に会ったの覚えてますよ。確か「迷宮」という、なんか。

米沢:そうですよね。

「漫金超」も関連したニューウェーブ系

菅野:あと高信太郎さんに紹介してもらったいしいひさいちが、「大快楽」で4コマ漫画やってもらってたんで、その関係で関西系のオモロイ人たちとも知り合いになりました。

米沢:村上知彦とか、チャンゼロ系で。

高取:ニューウェーブ系13のひさうちみちお、宮西計三などエロ劇画誌で活躍の人も書く「漫金超」14ね。僕もコラムを連載した。

米沢:ちょっとその前ですよね。「漫金超」って80年ごろでしょ。「漫金超」、その前に「奇想天外」のからみがあるから。だから、「劇画アリス」やめてから、あれがつぶれてか「マンガ奇想天外」とかで少し仕事してたから。なんかバタバタといろんなものが出てきた時期だから。

菅野:いろんな漫画家の人たちに、描いてもらいましたね。エロ劇画とはちょっとはずれたけど、いしいひさいちや安部慎一、そして鈴木翁二にもやってもらったし、何でもアリでしたね、あのころは。小谷と菅野のKKコンビの絶頂期ですね(笑)。

高取:鈴木翁二さん、一回書いてもらった。

高取:寺山修司さんの「報知新聞」の競馬コラムのイラストが、鈴木翁二さんだったんだよ。僕がそのコラムの取材をやっていて鈴木さんの連絡係でもあったので「エロジェニカ」に書いてもらったことがあったんです。

米沢:あれは、やっぱりエロの注文つけてたんですか。

菅野:鈴木翁二は、つけてなかったね。

高取:つけてないです。書けないでしょ。書かないでしょ。どっちかわからないけど。

菅野:でも、安部慎一は一生懸命描いてくれました。

高取:彼は、なんかすごい作品があるじゃない。

菅野:『ポルノ作家 山村勇三』だったかな? これもテンションが高かったなぁ。

高取:『意諏返し』ってなんかすごい作品がある。「エロトピア」に書いた。首をとばすの、弟かなんかの

米沢:それはちょっと覚えがないな。やっぱりそのころですか。

高取:そのころです。

米沢:作家もクロスオーバーしてましたからね。

高取:「エロジェニカ」にひさうちみちおさんは一回書いたことある。宮西計三さんも一回書いてもらっている。

菅野:宮西計三は「増刊ヤンコミ」デビューでしたよね。確かそれを見て小谷君が原稿依頼したはずです。

高取:宮西さんに頼んだんだけど、でも、締め切り間に合わなくて、めちゃくちゃな原稿がきたんだよね(笑)。

米沢:あの人、なんかいつもあがるかあがらないかわからなかったですよね。

菅野:丸尾末広は、宮西計三さんのアシスタントじゃなかったっけ?

高取:そんなのじゃないって丸尾さんは言ってましたけど。いや、やってたのは事実ですけど、そういうふうに言わないでくれって(笑)。

菅野:宮西君の仕事場に行った時、宮西君はでかいテーブルでイスに座って仕事してて、そのにミカンみたいな小さなテーブルがあってイスはなく、丸尾君はそこに座ってアシスタントやってたのかなって思いました(笑)。

高取:だからだ。おれは関係ないって言ってました(笑)。

米沢:いじめられたのかな。奥さんに。

大西:ニューウェーブにつなげていったというのは「大快楽」の感じで、美少女っぽい路線につなげていったのが「エロジェニカ」っていう感じがするんですけど。

高取:それは、ちょっと微妙に違うんです。「ガロ」の川崎ゆきおは「エロジェニカ」に長期連載していたけど、主に「ガロ」系の人に対応したのが「大快楽」で、「エロジェニカ」のいしかわじゅんとか山田双葉もニューウェーブって言われたから、だから、ニューウェーブという意味では「エロジェニカ」「大快楽」も両方共やってる

米沢:だから、ニューウェーブっていうのはパッケージの仕方だから、同人誌と少女マンガとエロ劇画と少年マンガの新しいやつを、全部まとめてこっちがパッケージしたわけだから。パッケージしないと売れない新しい感性ということでニューウェーブっていう名前を作ったわけで。だから、ワードはSFからきているんですよね。

大西:でも、音楽のニューウェーブと同時。

米沢:ちょうどきてたから。だから、音楽のニューウェーブよりもコミックのニューウェーブのほうが早い。言い方としては。だから、それはもともと70年代頭にあったSFではやったバラードとかニューウェーブという言葉でこっちが作ったわけだから、あとですよ。

高取:「劇画アリス」「エロジェニカ」に描いてたまついなつきも入っていましたね、ニューウエーブに。

米沢:いや、何でもかんでも入れてたんです。特に、男、女、関係ない感性で書く連中っていうのをメインにしたから。だから、つまり少女マンガではない女性作家。

高取:柴門ふみとかね。

米沢:あるいは、ほんとのドカタくさくないという言い方はなんだけど、そうでないエロ劇画、そういうものをみんな混ぜこぜにしちゃってパッケージしたわけだから

高取:柴門ふみさんも「エロジェニカ」に一回書いてもらってる。渚えりかって名前で。

菅野:桜沢エリカのデビューってその頃でしたっけ?

高取:もうちょっとあと。桜沢エリカは僕が書いた「聖ミカエラ学園漂流記」という芝居に82年に女高生役で出演している。マンガはまだ描いてなかった。岡崎京子とかももう少し後です。

米沢:もうちょっとあとからですね。80年に入ってから。

菅野:「漫画カルメン」や「漫画ピラニア」ではエリカちゃんに描いてもらいました。

米沢:「アリス」でやったあとですね、桜沢エリカとか。

菅野:そうですか。岡崎京子とか、みんな「自販機=雑誌」がデビューじゃなかったんですか。

米沢:いや、あれは「東京おとなクラブ」15なんです。「東京おとなクラブ」でデビューさせたんです。遠藤君が持ってきて、どうだというから、いいんじゃないって言って。

高取:「東京おとなクラブ」のほうが先ですか。

米沢:たぶん先です。

大西:ああいう軽めに向かっていったというのはどういう、きっかけか何かあったんですか。軽めに向かうじゃないですか。ニューウェーブとか、やっぱり深めて、どちらの河岸も含めて、やっぱり。

米沢:メディアの違い。

高取:それは若い女の子とつき合いたかったのよ、編集者がねえ、菅野さん。

菅野: (うなずく)(笑)。

高取:ほら、正直な話。

菅野:時代です。飽きちゃうのってあるじゃないですか。コテコテやったら、今度は軽めって感じなんだけど、ミチロウが「スターリン」をやり始め本格的に活動する80年あたりからはコテコテから、トビトビにいくワケですね。俺たちは! ホントに忙し好きなんだね。

米沢:書き込んだ劇画の時代ではもうなくなりかかってたというのは、時代の推移としてあったわけで、あだち充とか高橋留美子がウケたのが79年、80年、このあたりが劇画的な物の最後でしょ。そういうものがきたら、じゃそういう中で同じことができるのかっていうのがニューウェーブだったわけだから。そうするとやれる場所が、「マンガ奇想天外」とか、「コミックアゲイン」とか、そういうものに移っていっちゃう。「June」みたいなマニア誌みたいな形で、80年代結構位置づけられちゃったから、80年代にどう次を用意するかというのがあったんだよね。だから、79年に出たのは、きっと70年代の総括だったんですよ。そのあと結局、大友克洋、吾妻ひでおみたいな形になっていくわけで。

高取:そうです。吾妻さんが「アリス」に書いてたんですよね。

「自販機本」の登場とは?

菅野:「自販機雑誌」の登場で、エロ本業界の地図が変わったよね。「自販機」本で48ページの過激なカラーヌードが出ましたよね。あれで抜き組は「自販機」のほうに移っていったんじゃないですかね。要するに、抜き専門誌。エロの読者がそっちへいったので、劇画のほうはニューウェーブ的世界に移行してったんじゃないですかね。

米沢:だから、いっちゃうと、エロ劇画誌から「自販機」本にいって、「自販機」本からすぐウラ本へいっちゃうんです。ビニ本に。ビニ本からAV。ビデオのほうにいっちゃうから。だから、欲望産業のほうはそっち側で流れていっちゃうと、リアルの部分でマンガは太刀打ちできないですからね。

高取:それとメジャーが「ヤングジャンプ」を創刊して。エロに寛大な青年誌が「ヤングマガジン」とか出てくる。エロ劇画誌は、自販機のエロ写真系ウラ本とメジャー青年誌にサンドイッチされてしまう。そういう時代でした。

米沢:「自販機」は、写真さえ載せときゃ、あと何やってもいいっていう雑誌でしたからね。

菅野:だから、表紙の作り方や構成は割と昔のエロ本と似てるけど、中味はそれこそもっと過激に何でもアリで(笑)。だから、「ヘブン」16とか「Jam」17とか、あそこまでやれたんだろうね。

大西:最初は抜き用で買ってて、途中から何でもアリを楽しむようになってきたという。

米沢:いや、それは一部の人だよね。

菅野:俺たち読者のことなんかはほとんど考えないで作ってましたからね。「大快楽」のころなんて全然考えたことなかったなぁ(笑)。

米沢:つまり反応がない。ところが、「大快楽」、「エロジェニカ」、「劇画アリス」というのは、読者が反応がある雑誌だった。あの手の雑誌の中ではある雑誌。

高取:最初に「エロジェニカ」の編集部に遊びにきたのは東大生ですよ。次にきたのは京大生です。もうあかんと思いました。何でこんなものまで東大、京大が最初にくるのと思ったんです。

米沢:そういう連中が、バックナンバーありますかとか買いにきたりするわけです。

大西:あとは、なかのしげるさんみたいにハードコアなの。

菅野:あと、「大快楽」編集時代には「クイックジャパン」を創った赤田君18とかバックナンバーをさがしにやって来ましたね。まだ高校生でした。

高取:その中学生の弟が「エロジェニカ」読者の常連(笑)でいしかわじゅんファンクラブをつくった。あと覚えてるのは、新左翼系の京都府立大学の学生と愛知教育大の女学生で、この人は山田双葉ファンだった。

米沢:逆にそのころだともう、これが出た前後あたりから、持ち込みも結構エロ劇画じゃない人たちも持ち込んでくるようになったから。近藤ようこなんか持ち込みできたんですよ。

高取:今でも持ち込みやる人らしいんです。

米沢:蛭子能収とか根本敬とかも、「自販機」本とかでやってたわけだし。やってるほうもあまり考えないから、何にでも使っちゃうみたいな。80年前後だと終わりかかっちゃうんですよね。 81年、82年ぐらい。

高取:80年でみんな終わります。彼はどっか行っちゃうし。 独立しちゃうし。

米沢:80年でしたっけね、菅野さんたち。

高取:80年で「アリス」も「エロジェニカ」もなくなりました。まあ「大快楽」は続きますが。編集は菅野さんたちからバトンタッチした。それで僕のコラムの連載が始まる。米沢さんが「劇画アリス」をやったのは何年でした?

米沢:最後の一年半ぐらいですかね。だから亀和田氏が辞めて。だから、 表記では亀和田武編集長になっている間も、こっちを半年ぐらいやっていますから。

―「劇画アリス」の表紙裏に、亀和田さんの写真が写っているときは米沢さんが。

米沢:やっていましたね、後ろの吾妻ひでおさんの連載が始まったのはずっとうちがやって いる。なんか、もう辞めるというので、ちょっとしばらく次の人選がわからないから、引き継いでくれないかといって、じゃあ、半年ぐらいだったらいいですよといってバイト感覚で引き受けたんだけれども。そしたら、何かずるずると一年ちょっとやった。そしたら、特写に付き合えとか、からみのモデルになれとかいうのは断ったから。そこまで入り込むとろくなことないですからね。

元全共闘も関係し殴り合った

高取:亀和田さんはモデルやっていましたね。パンストで顔かくしてモデルとからんでた。

菅野:「アリス」の初代社長は、元檸檬社にいた小向さんです。

高取:陶器作家の人になっちゃって。

菅野:あの人はヌード撮影で、モデルの股間を濡れたティッシュで隠す方法を考えた人です(笑)。

高取:剃毛技は末井昭さんといわれてますね。いろいろな技術が開発されたんですね。

菅野:あと、エロ劇画とかやってたときのおもしろさって、すごくアナーキーな気分でやってたじゃないですか。それが楽しかったんじゃないですかね。あと、学生運動やってて入る会社がなくてエロ本業界に流れてきたという人もけっこういましたね。

高取:おっしゃるとおりで、「エロジェニカ」の初代編集長、日大全共闘です。たしか二代目はノンポリで違いましたけど。あと、一緒に「快楽セブン」やってた人も、羽田闘争で川にまで逃げるか逃げないかで、おれは塀をよじ登って助かったほうだとかって言って。社長も60年安保の構改の左翼でしたから。

米沢:結構多かったですよね。

菅野:檸檬社にも、元活動家はおりました。新宿ゴールデン街文化がまだあった頃ですね。

米沢:ありました。毎晩けんかがあった時代ですね。

菅野:だから、そういう時代だったんでしょ、やっぱり。

高取:それで、問題の「大快楽」に元日大全共闘にいた板坂剛さんが書いて。

菅野:あの人は、ほんとに日大全共闘だったんですか。

高取:ほんとです。それで、「エロジェニカ」側に元青学全共闘副議長の流山児祥さんが書いていて、プロレスをめぐって、コラム上でもめて。

米沢:下北沢で乱闘があって。

高取:乱闘じゃない、流山児さんが一方的に殴っちゃった(笑)19

米沢:あのあたりで終わっちゃったんですよね。

高取:あれは、二回目のエロ劇画の盛り上がりよね。最初は、さっき言ってたメディアの盛り上がりがあって。話しを戻しますけども、プロレスコラムの「大快楽」側からの挑発だったので、こっち側は全然わからないのね。あれは何だったんですか。

菅野:あれは何から始まったの?

高取:いや、プロレスコラムが最初でしょ。ちょっと前はありますよ。「エロジェニカ」を、「大快楽」が三行ぐらいなんかからかっていたというのはありますけど、それじゃ別に。

米沢:大人は相手にしないから。「劇画アリス」は相手にしなかったです(笑)。すぐ挑発にのるから。あと、亀和田出てこいっていうのもありましたね。あれは「エロジェニカ」か。

高取:きっかけは「大快楽」側なんです。編集部サイド。

菅野:板坂剛さんですか、やっぱりきっかけは。

高取:板坂さんもですよね。一番いけないのは、「流山児殺し完成」って書いちゃったんです。これでキレちゃったんです、流山児さん。殺すと言ってる、許せないって(笑)。ほんとは、もう一号待ってくれと言ったんだ。もう一号待って「大快楽」編集部をみんなで襲撃しようみたいな話だったんです。そのときに武闘系のマンガ家が日本刀持っていくって言ったから、いや、もう日本刀だけはやめてくださいって言ったの。でも、いつきたかしさんに聞いたら、迎え討つと言ってたって言ってましたよ、「大快楽」(笑)。

菅野:おれが知ってるのは、板坂が下北沢に決闘に行くというとき、それで、俺たちも行ったほうがいいのって聞いたら、板坂が、いやいや、おれ一人で十分だって言うから。だから、俺は偉いヤツだなと思った(笑)。それで、一人で行って、一人で殴られてきて、で、一人でまたそれを文章にして。で、その文章の内容が逆でボコボコにされたのは、流山児で、上野発夜行列車で故郷に帰ったとかさ(笑)。いい話だよね。板坂剛はやっぱり偉いなと思ったよ。ほとんど一方的に殴られたのに躊躇なく逆のことをすぐ書けるという(笑)。

高取:それは、後で小説にして書いたやつで、殴られた直後は、板坂さんは目が失明の危機だとか、流山児さんを警察にいいつけるとか正直に書いてましたよ。殴ったあと、板坂さんを、手当てしてるんです、流山児さん。それで、板坂さんは、文章はこれからも続けさせてくださいって言ってるんだよ、ちゃんと。流山児さんも、しょうがねえなってんで、いいよ、もう好きに書けばとか言わざるを得なかった(笑)。ケガしてますから。

菅野:下北沢の薬屋で、流山児がなんか薬を買ってきて治療してくれたんだよって板坂剛が言ってました(笑)。

高取:でも、板坂さんが「大快楽」に連載するとき、菅野さんに偶然酒場であったら、今度、板坂の連載するんだよ、とかうれしそうに言ってて、僕はもう知らない、と思ってましたけど(笑)。つまり、予測出来た。

菅野:そうでしたっけ。

高取:多分プロレス評論をめぐる何かが最初なんでしょうね。

菅野:だって、あのときプロレスがはやってましたからね。プロレスブームで。猪木の。

大西:マンガ論だったらもうちょっとまたこう。

菅野:そうだな。好きなこと書かせてたという編集のほうにも問題あるのかもしれないけど、ほんとはあまりそういうこと考えていませんでしたね。

ケンカ(抗争)の真相は?

大西:マンガの中身には、編集部側ではどのくらい指示を出してたんですか。

菅野:ひさうち君とかは、何度も打ち合わせしました。要するに、「ガロ」で描いてた版ヅラにおさまるコマ割りじゃ、エロ本では大人しすぎるからバーッとやらなきゃだめだから、ハデにやってねなんつって。それで、見開きでバーンとやったり。とにかく、ひさうち君が一番打ち合わせをした気がするね。最初の時は、ワラ半紙にビッシリ書かれたプロット。この時点でまずオモシロイわけね。次に絵コンテが入った時点でまた打ち合わせ。これがまた、あーだこーだと話してオモシロイ。で、上がった原稿みてまたオモシロイ。ま、結局、打ち合わせと称してバカ話をしてるのが楽しかったんでしょうね(笑)。おかげで「捧ぐシリーズ」という愉快な作品を描いてもらえました。

米沢:一応コンセプトがあったんだ?

菅野:うん。作家と編集者がまず最初に楽しむというコンセプト(笑)。

高取:米沢さんは?

米沢:うちはないですよ。ほとんどテーマだけ与えて。でも、売りがないとやっぱりだめだから。だから、田口トモロヲなんか新人が来ると、何で売っていくかということになると、じゃこういうの書いて、これがよかったから。何とか荒木虎美(保険金殺人事件)とか、事件劇画でしばらくやれよとか。あと近藤ようこなんかは、女性のエロチシズム書きたいと言うから、じゃ連作みたいな形で考えたらって、じゃ色をタイトルにつけたらどうかとかいう感じで、毎回一色、色を入れる形で、タイトルつけていく形でやってもらいました。そんな感じでしたね。

高取:「エロジェニカ」は、全部打ち合わせしてました。ギャグマンガ家以外いしかわじゅんさんたちってないですけど、中島史雄さんもそんなにはしてないですけど、ダーティ松本さんも村祖俊一さんも、最初は、全部、どうやってどうやってどうやってどうするかというのは、基本的にはほとんどの人、最初は、全部打ち合わせをしてました。七割ぐらいかな。ストーリーまで。

大西:だから、あれだけの表現が、

高取:部数を伸ばす意志はなかったでしょ?「劇画アリス」は。

米沢:ない。

高取:「自販機」本は、部数を伸ばすのって限られてる。

米沢:三万です。

高取:そうそう。それ以上は増やせようがないんだから。ぜいたくな雑誌作りでした。

米沢:そうですね。だって、六千円とか七千円、原稿料がしてたから。ただ、なんかたたく人は千五百円とかね(笑)。

大西:たたかれるんだ。

高取:数を伸ばせって言われてましたよ。だから、僕がバトンタッチしたときは五万五千だったですよ。全盛期で十一万九千までいったから。だから、「大快楽」を、あとで聞いたら抜いてたんです。

菅野:すごいね。うちは全盛期っていっても、たしか九万ぐらいですよ。でも、返本は一桁台の八%とか。今じゃ考えられないような数字だよね。

―完売ですよね、もう十%以下なんていうのは。

菅野:だから、部数がそれぐらいでも、多分、会社はけっこうもうかったんじゃないですかね。

米沢:でも、「自販機」は流通を通さないから、その分が全部東京書籍とかの金になるからいいんですよね。

高取:でも、海潮社は貧乏だったから、売っても売っても貧乏だった。

菅野:多分、社長が遊んでたんでしょ。

高取:いえ、お金がなかったんです。最初に入ったとき、新入社員でいったときに、もう一億あったもの。

菅野:借金が。

高取:だから、この中で一番悲惨な労働条件だった(笑)。

菅野:檸檬社は組合があったから。同業の大洋書房にも組合があって、それでそこの編集者と仲良くなりました。うちが春闘でもめてると応援に来てくれたりして。エロ本業界では、大洋書房と檸檬社ぐらいじゃなかったですかね。

米沢:白夜書房という名前はまだなかったんじゃないかな。

高取:セルフ出版です。

大西:ブッチャー。

米沢:いや、それはもうちょっとあとだから。「コミックセルフ」。

高取:「ニューセルフ」とかじゃないですか。平岡正明、嵐山光三郎、安西水丸、秋山祐徳太子が書いていた。僕、愛読してました。

米沢:ウィークエンドスーパーとか。そのあととサブカル系で「ビリー」とか、「ウィークエンドスーパー」とか、一部が流れていく「自販機」の読み物部分だけを、さらにさしかえた形で八十年代に入るとそういうふうにいっちゃうから。これも「自販機」が生み出した文化なんですよね。

高取:ケンカに戻すと、板坂さんより流山児さんのほうが原稿料が高かったんですね。それが殴ったときの会話なんです。たかが五百円ぐらいの差なんだけど(笑)。おまえ、そん安いので殴られちゃ割りに合わないだろって言うんだよね。菅野さんも来てればよかったのにね。

米沢:そのとき来てれば、今ここで、こういう対談は。

高取:僕も行ってないんです。僕は行く予定だったけど、いしかわじゅんさんとしゃべりすぎて遅刻しちゃったの。

菅野:おれは、板坂が来なくていいって言うから。

大西:じゃ、両者共に来てる可能性はあったわけですね。殴りあってる可能性も。

高取:あったんです。でも、行ってれば「大快楽」は、まとめてやられてますね。流山児さんのあのときの怒り方は。

菅野:あの人は役者だもんね。役者、体力あるから。飲み屋のママに言われました、役者とけんかするなって、体力が違うから。

米沢:下北沢のどこでやったんですか。

高取:道ばたです。

米沢:駅のところ?

高取:わからないです。次の角を曲がればやるって言ったらしいです。曲がった瞬間、だれもいなかったって。で、かかってこいって言ったけど、板坂さんは、呆然と立ってるので。背が高いんです、板坂さん。だから、流山児さん、やってみないとわからないじゃない、一瞬とまどったらしいけど。こないなら、こっちからいくって。

米沢:先に殴ったほうが勝ちですからね。

高取:でも、まず、流山児さんは、かかってこいって言ったの。ちゃんとしたタイマンですよ。

菅野:板坂剛って、大体けんかしたことないんじゃない? ちっちゃいころから。

高取:でも、一応日大全共闘だよ(笑)。いたことはいたらしいですよ。

大西:舞台裏が表面に見えてくるところはやっぱり楽しいんですけど、亀和田さんが表2で表現することに関しては、当時、ほかの雑誌の編集者としてはどういうふうに反応したんですか。

菅野:大西君はどう思う? どうぞ(笑)。

大西:あれは、僕はかっこいいなと思うんだけど、だけど、当時あれを生で見たら。

高取:かっこいいけどアホだと。アホだけどかっこいいと。というふうにちゃんと書いてます。当時。つき合いないころ。

大西:当時。誌面で?

米沢:でも、突破口になったことは事実で、あそこまでやらないとだめだった時期でもあるの。

高取:でも、あれはウケたですよ。

大西:あれが、「アリス」を認知させるっていうのは。

米沢:何か売りがあったほうがいいでしょ。そうだね。

高取:どう思ったんですか。

米沢:よくやるよなとは思いましたけど(笑)。

菅野:それは、俺も思ったけど宣伝効果はあったんじゃないの。俺、編集者、黒衣(くろこ)説ですから。黒衣タイプっていうか、そのほうが俺はいい編集できると思ってるから。

高取:後に編集者としてまっとうしたのは菅野さんのほうだから、そういう意味では黒衣説のほうが編集者としては正しいかも。僕なんかもなんかちょっと出すぎでだめだったんです。

大西:編集じゃないスタンスで。

米沢:個人でやると、個人のパフォーマンスというのは、個人を売るためのものだから。だから、あの人もいつまでもエロ劇画誌編集をやるつもりもなかったんだろうし。

菅野:そう思うよ、俺。あの人は、なんかの評論家になりたかったんじゃないの? 違うの?

米沢:いや、作家になりたかった。

菅野:でも、小説書いてないじゃないですか。

米沢:無理だと思いますよ、私も(笑)。

高取:作家になりたいとは言って。前、評論書いてたでしょ。麒麟児拳っていう名前で、学生新聞で。

米沢:あと、「ゴードン」とかでやってましたよね。「ゴードン」も編集やってたのかな、あれ。

高取:あとは、バンドもやってたみたいだけど、学生時代。

米沢:いや、あの人は。ボーカルだって言ってたけど、ちょっとあれじゃ厳しいですね。

高取:ボーカルでしょ。

米沢:ボーカルだけど、厳しいですよね(笑い)

大西:聴いたんですか(笑)。

高取:だから、麒麟児拳名で書いてるのを読んでたのが流山児さんで、亀和田は成蹊大プロ学同20なんです。流山児さん、過激な党派なんだよ。「亀和田、民青21みたいな奴」っていってたから、そのころから反感あったので、今度は、流山児さんが亀和田批判を始める。それで、私と亀和田さんもパーになるわけ(笑)。つまり、亀和田さんは流山児さんがコワイから私を文章で攻撃した。だからタイマンを申し込んだら、逃げた。(笑)

米沢:フロントだったの?

高取:亀和田は、プロ学同です。フロント系の学生組織です。

菅野:流山児は何ですか。

高取:流山児さんは諸説あるの。本人は中核派のセクト[/efn_note]中核派

過激派のセクト。革マル派の内ゲバで有名。[/efn_note]だって言うんです。でも、世間では叛旗だと言われてます。ブントだって言われてます。

米沢:でも、文章見ると、叛旗、ブントですよね。

高取:要するに、世間ではそうなの。でも、本人は中核派だって言ってる。そうすると、そういうなんか裏社会でいろいろ動きがあって、僕の知り合いの黒ヘルのやつは、亀和田殴るんだって言って、えっ、何言ってるんだってとめて、そういうのいろいろあったんです。

米沢:いや、成蹊の一緒にやってた連中に言わせると、あいつは軟弱だっていうことになってたみたいですよ、すでに。言うことは言うけれども、何もやらないという。

高取:その割には口ではカッコつけるので、読んでてカチンときた人、結構いたんですよ。

米沢:いたみたいですね。でも、マンガファンとか、エロを読むファンは関係ないから。

菅野:まあ亀ちゃんは、いいじゃないですか。あそこまでいったんだから、大したもんじゃないですか(笑)。今ワイドショーのいいおじさんで、奥様から人気があって。

米沢:そうですね。うれしそうじゃないですか。

高取:なるべくしてなったですね。ホストみたいに。

米沢:テレビに出たいって、あのころから言ってたから。

高取:仲のいい頃、テレビの司会者向きじゃないかって言ったら怒ってたけどね。何でそんなこと言うんだって。

三流劇画「ガロ」系、少女マンガ系美少女系路線

大西:石井隆さんなんかも割りとあのころの、そういう逆にこう三流エロ劇画、なんかカテゴリーに入れられたことを、逆に今、根に持っているというか。

高取:というか、三流という言われ方がイヤだったみたいです、やっぱり。中島梓が石井隆をモデルにして小説を書いてて、そのあとがきにそういうようなことを書いてて、それがちょっと三流というのがイヤだなと石井さん書いてましたよ。

菅野:おれたちは、超三流って言ってたんだけどなあ。

高取:超三流ね。それならいいじゃないですか。僕もいったことある。

米沢:でも、あれはパッケージの問題で、三流のほうがインパクトがあるというので三流劇画という言い方したんだから、こちらは。ただ、あれも、山上がなんかそれに近いことをちらっとどこかで書いてて、それを使った形でうちの特集やったりしてたわけで。

高取:つまりこういうことなんです。「三流=エロ劇画」だったのが、イコールがとんじゃって「三流エロ劇画」になっちゃったわけ。そうすると三流エロ劇画から二流エロ劇画を目指してくださいとか、一流エロ劇画になってくださいと、そういう読者の声があったりして、石井さんはそういうこと書いてる。それがイヤだったのかな。

大西:でも、あの時代に三流エロ劇画って、マンガ界の垣根がカッと下がっていろんな人が飛び越えてこなかったら、今のマンガが何ていうか。

米沢:そうしたら、八〇年代の青年誌がないですね。弓月光にしても、中島史雄にしても、それからいしかわじゅんとか、吾妻ひでおにしても、青年誌で売られた人たち。

高取:でも、檸檬社は、そんなに「大快楽」を結構好き勝手にできたというのはなぜですか。

菅野:やっぱり社長は趣味の人だから、あまり人のこと言えなかったんじゃないですか(笑)。社長は、とりあえず売れればよかったんじゃないですかね。返本が少なかったからやれたんじゃないですか、それに乗じて。

高取:結構営業部長に言われました、少女マンガの評論書いたりしたら。関係ないだろ、少女マンガとかね。それから、エッチじゃないマンガ載せたら、エッチじゃないマンガをのせて何考えてるんだとかね。社長には言われなかったけど。

菅野:でも、社長に、渡辺和博22を載せたら、怒られました。これ、とこがおもしろいんだって(笑)。

高取:渡辺さんは、「快楽セブン」でずっと書いてたんです。言われなかったです。短かったから言われなかった。いしいひさいちの、「漫金超」のコマーシャルマンガを載せるんですけど、それは「エロジェニカ」と「大快楽」で交互に載せるんですよね。

菅野:いしいさんは、高信太郎さんから言われたんです、こういう人がいておもしろいんだけど、どこもやってくれないんだよ、そっちではどうって。読ませてもらったらこれがおもしろかったんだよ。それで、じゃやりましょうってね。

大西:雑誌は何に書いたんですか。

高取:作品は「大快楽」。それで、あのときは、もう「大快楽」と「エロジェニカ」が戦ったあとだったんだけど。僕が、「コマーシャル・マンガ」は、おもしろいから、ケンカしている「大快楽に続く」にすれば、とチャンゼロの村上知彦に言ってた(笑)。「大快楽」と「エロジェニカ」でずっと書いてたはずです。だから、交互に載ってるの。

菅野:そういうことです。あと、ひさうちみちおのやった「何とかさんに捧ぐシリーズ」というのは、昔の往年のエロ劇画のパロディーなんですから。

高取:そうなんですか。あれ面白かった。

米沢:アイドルシリーズ。

菅野:アイドルを犯しまくるというシリーズは、ここにきたらこうなるんだよなという、もうみんな大体了解事項みたいので進んでいくというか。吉本新喜劇のような予定調和ギャグなんです。

米沢:もうあれは恥ずかしいアイドル物だったから。あのころはすごかったですよね。

菅野:ひさうち君がどんな女を描けばいいって聞くから、好きなアイドルとかだれかいないのって話になってね、太田裕美がいいって言うからじゃ太田裕美でいきましょうってことになったんだよ。

米沢:なんか意外と単純なものなんですね。

菅野:あれ、岩崎宏美だったかな? ま、いいか。自分の好きなアイドルをめちゃくちゃにしてねとか言って(笑)。十分だったの。だってひさうち君、頭の回転早いし才能抜群だし、そして大のスケベだし。

大西:当時笠間しろうとか、そういった三流というか、まったく声がかからなかった世界の人っていうのは。

高取:巨匠だもの。僕らが高校生のころ、カッパブックスの佐賀藩の「刑法入門」とかのイラスト書いてた人。巨匠ですよ。

米沢:上村一夫、笠間史郎というのは、そういう大人の新書版にカットを書いてた人なんです。

高取:恐れ多くて頼めるもんじゃない。

米沢:そのころエロ劇画というよりも、SM雑誌の挿絵の仕事が、ちょうどこの時期あの人たちが多くなったときで、ちょっと違う形にも何かあったのかな。ただ、前田寿安とかまだ書いてましたよね。前田寿安、前田海。

高取:前田海は「エロジェニカ」だよ。兄弟分かれて(笑)。

高取:やっぱり同世代の人がやっぱり合いましたよね。

菅野:だから、頼んでた作家というのはほとんど同世代だし(笑)。

高取:あまり美少女系はいかなかったですよね。

菅野おれ、美少女マンガ、好きじゃないもの。

高取:嫌いなんですか。

菅野:割と好き?

米沢:いや、仕事だからって(笑)。

高取:「エロジェニカ」は、割とやってましたよ。村祖俊一さんも中島史雄さんも、美少女路線って言われたね。

米沢:でも、あの辺で出てたのは、結局、岡崎京子とか桜沢エリカとか、内田春菊あたりの流れのはしりでもあったわけですよね。山田双葉とか。山田双葉って、美少女マンガって言われないけど。

高取:米沢でも、八〇年以降ぐらいの、つまり女性によるエッチマンガみたいなもののはしりというのは、まついなつきであったり。

菅野:だけど、それは美少女マンガじゃないよね。

米沢:美少女マンガでは、あれはないですね。だから、吾妻さんが一番近かったんだよ。内山亜紀と。

菅野:内山亜紀はやってたんですけど。いや、一本とか二本ぐらい入ってるのはメリハリとしていいけど、全部になっちゃうとなんかやっぱり。

高取:「エロジェニカ」デビューだとほんとの美少女系は、谷口敬。

米沢:うまい人なんだけれども。

高取:一時売れましたよね、「ヤングチャンピオン」かなんかで。

菅野美少女マンガのストーリーって割といいかげんじゃないですか。

米沢:いいかげんですね。で、エロ劇画ほどパターンもないですから。多分それはいいところでもあるんだろうけど、ある意味でそういうのが感覚的にイヤだなと思うと、もう読めなくなっちゃうとかね。あれでもうちょっとストーリー性とかが強かったら、読み込んでいったりするかもしれないけど。

米沢:多分さっき言ったひさうちみちおのアイドル物なんて、美少女系のネタですよ、ネタ的には。でも、あの絵でねっとりやるのと、まさしく榊まさるの絵でやるのと、美少女系の絵でやるのは全然違うものになっちゃいますよね。

高取:じゃあこのへんで終りましょう。

  1. 『漫画エロトピア』 エロ劇画の先駆誌。エアー・ブラシの表紙で一世を風靡。上村一夫、岡崎英生の「悪の華」、榊まさるブームなど、70年代をリード。隔週刊で、御三家よりメジャー誌だった。後に美少女マンガ誌に変身。
  2. 『ヤング・コミック』 上村一夫、真崎守、宮谷一彦が三羽ガラスと呼ばれた劇画誌。「御用牙」(小池一夫・神田たけ志)で有名。他にも鈴木漁生など注目された。奥成達、平岡正明などのコラムにも力をそそいでいた。石井隆ブームを担った劇画誌でもある。後にギャグ・マンガ誌に変身。さらに美少女マンガ誌に変身。
  3. 『漫画大快楽』 あがた有為、能條純一、羽中ルイ、ひちうちみちお、平口広美、宮西計三などがマンガを執筆した劇画誌。コラムは板坂剛など。自販機でも売っていたが、書店売りのマンガ誌。発行7万部。
  4. 『別冊新評―石井隆の世界』 77年1月に発行され石井特集の雑誌。『別冊新評』はそれまでに「渋沢龍彦の世界」「唐十郎の世界」「花田清輝の世界」と、主に文学者を特集する雑誌だったので、この号は注目された。執筆者は山根貞男、松田政男、権藤晋、赤瀬川原平、橋本治、小中陽太郎など。
  5. 『劇画アリス』 井上英樹、飯田耕一郎、森田じみい、吾妻ひでお、まついなつきなどが作品を発表した劇画誌。コラムは平岡正明など。自動販売機本のため部数は3万部。
  6. 亀和田武 三流劇画ブームの立て役者の一人。現在はTVのワイド・ショーの司会者。当時、アリス出版に勤め「劇画アリス」の編集長として表2に自分のセミヌードの写真を自ら掲載。「沢田研二に似てるでしょ」というのが当時の口グセ。後に「SF宝石」で、「沢田研二の頭脳と赤瀬川原平の容貌を持つ亀和田するなど活躍。会う人に「ボクってジュリー武」とからかわれた。小説も書く。文章はイサましいが、ケンカは弱い。元成蹊大学全共闘(プロ学同)
  7. 川本耕次 三流劇画ブームの立て役者の一人。明治大学卒。マン研でいしかわじゅんの後輩。『官能劇画』『ペケ』を編集。『別冊新評―三流劇画の世界』に執筆。後、アリス出版に入社。仕事をさぼる亀和田武をやめさせるべく動く。『少女アリス』編集長。後に群雄社出版に移動。その後、官能小説家になる。三流劇画ブームの立て役者は、他にこの座談会の菅野邦明、米澤嘉博、高取英、そして『大快楽』の小谷哲など。もちろん、石井隆や羽中ルイ、ダーティ松本、あがた有為、ひさうちみちおなどのほか本誌の当時のマンガ家たちはいうまでもない。
  8. 『迷宮』 米沢嘉博たちがやっていたマンガ同人誌。この『迷宮』で最初エロ劇画特集が掲載され、『プレイガイドジャーナル』の特集へと至る。『迷宮』は、コミケットへつながる。
  9. 『プレイガイドジャーナル』 大阪に本社があった関西の情報誌。いしいひさいちが4コママンガを連載。商業誌としては初のエロ劇画特集が行われ、ブームへと至る。
  10. 「別冊新評―三流劇画の世界」 「石井隆の世界」に続いて79年4月に発行された三流劇画特集の雑誌。三流劇画ブームは「漫画エロジェニカ」の発禁(78年10月)に続きこの特集号でピークに達した。執筆者は、米澤嘉博、梶井純、小谷哲、高取英、斎藤正治など。座談会に亀和田武、中島史雄、山田博良(川本耕次)など。
  11. 相姦図 「別冊新評三流劇画の世界」に発表された交遊図。トク名で発表されたが、書いたのは当時「大快楽」の菅野と小谷コンビ。だか「大快楽」を自画自賛していた。例えば「大快楽」を「冥府魔道」と書き、当時ケンカ中の「エロジェニカ」を「誇大妄想」「寺小屋ゼミナール風」と書いた。この相姦図に怒った人もいた。
  12. 11PM エロ劇画特集に登場したマンガ家は、あがた有為、中島史雄、村祖俊一、小多魔若史などだが、5名中、4名までが「エロジェニカ」のレギュラーだった。そのためもあってか、「エロジェニカ」発禁へと至る。なお、発禁の標的にされた最大のマンガ家は、ダーティ・松本(TVには出ていない)。他に、「エロジェニカ」の高取英「アリス」の亀和田武「官能劇画」の岡村静男などが出演。 当時のジャーナリズム (後の世代のための注) 「消えたマンガ雑誌」(メディア・ワークス)で「エロジェニカ」発禁の時、「週刊朝日」がエールを送ったと書いているがこれはマチガイ。「週刊朝日」はカラかったのである。朝日のエリート意識のなせる技か。そのカラかったコラムを書いたのは穴吹史士記者で、後に「週刊朝日」編集長になり、参議院に出した風の会の会とカラかったイラストを掲載。風の会の野村修介代表に猛抗議を受ける。カラかうのが得意のバカッチョ配者が穴吹史士であった。なお、好意的な記事を書いたのは「朝日新聞」の〈青新聞〉やベストセラーズの雑誌「ジャズライフ」など。
  13. ニューウェーブ それまでと違った画風のマンガ家たちをそう呼んだ。大友克洋、高野文子いしかわじゅん、山田双葉、柴門ふみ、ひさうちみちお、宮西計三などである。主に1950年以降のマンガ家。特に女流だが、少女マンガではない画風が注目され、その流れは後に桜沢エリカ、岡崎京子につながる。
  14. 「漫金超」 大阪のチャンネル・ゼロが発行したマンガ誌。いしいひさいち、大友克洋さべあのま、川崎ゆきお、ひさうちみちお、高野文子などニューウェーブ系のマンガ家が執筆。コラムは南伸坊、村上知彦、亜庭じゅん、高取英など。編集は峯正澄、村上知彦、高宮成河たち。
  15. 「東京おとなクラブ」 現在アスキーの遠藤喩一がつくっていたミニコミ。村上知彦、高取英、米沢嘉博などがコラムを連載。岡崎京子、桜沢エリカも執筆。中森明夫がデビューしたミニコミ。
  16. 「Heaven」 「Jam」が発展した形の雑誌。高杉弾や山崎春美が中心となって編集。デザインが斬新だった。
  17. 「Jam」 山口百恵のゴミ箱をあさり、発表し、話題となった自販機雑誌。編集長は高杉弾。
  18. 赤田君 赤田祐一のこと。宮西計三のアシスタントをしていた彼は、のちに「クイックジャパン」編集長に。弟の赤田義郎は、マガジンハウスで活躍。
  19. 三流劇画抗争 「大快楽」編集部(当時、菅野邦明、小谷哲)が最初「エロジェニカ」をカラかうところから始まった。やがて、「大快楽」でプロレス・コラムを連載の板坂剛(元日大全共闘)が、「エロジェニカ」でプロレス・ コラム連載の流山児祥(元青学全共闘副議長)を文章で攻撃し始め、怒った流山児祥が下北沢で板坂剛をKOした。 「エロジェニカ」側が勝利宣言をすると、 亀和田批判の流山児祥に対する反論を拒否し、 「劇画アリス」を退社した亀和田武が今度は古巣の「大快楽」で 「エロジェニカ」編集長の高取英を文章で攻撃。高取英は、対決を申し込んだが、亀和田武は逃亡した。 やがて、菅野・小谷コンビが去った「大快楽」に高取は連載コラムを持った。 「エロジェニカ」側の勝利に終了。なお、当時の「噂の真相」1979年11月号の記事に抗争のことが書かれているが、匿名で書いたのは板坂剛なので、正確ではない。噂の真相1噂の真相2
  20. プロ学同 共労党(フロント)の学生組織。笠井潔、岡留安則などが所属していた。武闘は弱い。
  21. 民青 日本共産党の青年組織。過激派とは対立。
  22. 渡辺和博 南伸坊の後の『ガロ』編集長。マンガも描いていた。後に『金魂巻』が大ヒット。